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最新号に寄せて

  

新年おめでとうございます。コロナ禍に見舞われた2020年。年が改まったからといって沈静化のめどはたちませんが、「ポストコロナ」を考える手がかりくらいはつかみたい、との思いです。しかし、予想されていた第三波のなかで、政府はいまだ無為無策を続けています。感染対策として出てくるのは「マスク会食」「正月ステイホーム」をはじめとした「自助」「共助」の要請のみ。政府の役割は「公助」のはずで、それらは「コロナ対策」に数えられるものではありません。しかも、首相は「8人忘年会」で自ら否定したわけです。
 
2020年末には、安倍晋三前首相の「桜を見る会」問題が再燃しました。発端は読売新聞のスクープだっただけに、裏で官邸の意向が働いていること、とくに杉田和博官房副長官のリークとの話も取りざたされました。その間には、東京地検特捜部による安倍氏への事情聴取について、朝日新聞が昨年12月17日までに行なわれていたと“誤報”、その後、21日に行なわれたことを読売・NHKが中心になって報じるという動きもありましたが、見過ごせないのは収支報告書不記載罪で略式起訴された安倍氏の公設第一秘書・配川博之氏に対するマスコミの扱いです。これまでかたくなに匿名報道していたのを、検察の広報にあわせていっせいに実名報道に切り替えました。その判断基準には違和感しかありません。
 
コロナ禍は、もともと日本社会が内包していた問題を顕在化させただけだ、という指摘があります。政府の政策決定プロセスの非合理性や、国民の間の経済格差など、さまざまな事象が挙げられます。一方、コロナ禍が見えづらくしたものもあり、たとえば「コロナだから仕方ない」といった言葉で弱者の切り捨てが進んでいます。少なくとも、まだ経済がぎりぎり保たれているように見えるのは、誰かの犠牲によるもので、政府の経済対策のおかげではありません。一方、前号では、経済悪化と自殺の増加の関係について触れています。貧困と死が直結することこそ異常なことで、これこそ「公助」の不在を示しているといえます。そんな日本社会を、あるべき姿にするために必要な「正論」を、今月号では特集しました。安倍政権から菅政権に継承された“国政私物化”の悪習を断ち切り、本来の政治を取り戻すこと。“安保”によって阻害されてきた戦後処理をいまこそ進めなければならない。それによる“東アジア共同体”が日本の将来を明るくする可能性など、いずれもいま必要な提案です。
 
今年春ごろから、日本国内でもワクチン接種が始まる、との報道もありますが、インフルエンザウイルスが頻繁に変異し、そのたびに新たなワクチンが開発されているように、その効果はまだ不透明なようです。また利権化したり、一部の人々や国に独占されれば、いずれ再びの感染拡大を招くことでしょう。地域・格差を乗り越えた、本当の意味での「グローバリズム」が求められているのかもしれません。2021年第一弾、ご一読をお願いいたします。
 

「紙の爆弾」編集長 中川志大